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一番になりたかったはずなのに・・・ー2番手を選ぶACの生存戦略

境界線と共依存

私はずっと、「一番に選ばれたい」と思っていました。

誰かにとって、
“特別な存在”になりたかった。

ちゃんと必要とされて、
安心して帰ってこられる場所になりたかった。

だから私は、
「もう二番手は嫌だ」
と、ずっと思っていたのです。

でも今振り返ると、
私は無意識に、
“二番手”
を選んでいました。

そしてそれは、
偶然ではなかったのだと思います。

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「必要とされること」で、居場所を作ろうとしていた

機能不全家族で育つと、
「そのままの自分」で安心することが難しくなります。

だから子どもは、
無意識に“役割”を持つようになります。

空気を読む。
我慢する。
支える。
助ける。
いい子でいる。

そうやって、
「ここにいていい理由」
を作ろうとする。

私の場合、
それは──

「必要とされること」

でした。

誰かに必要とされれば、
ここにいていい気がした。

愛されている気がした。

だから私は、
無意識に、
“誰かを必要としている人”
に惹かれていたのだと思います。

母を救いたかった子どもの頃

今思えば、
この感覚は子どもの頃から続いていました。

私は小さい頃から、
母親の愚痴を率先して聞いていました。

父への不満。
苦しさ。
寂しさ。

それを聞きながら、私は
いつか母を救いたいと思っていました。

でも大人になって気づいたのです。

母は、
不満を言いながらも、
父を必要としていた。

私は、
母を助けたいと思っていたけれど、
母が本当に帰っていく場所は、父だったのです。

その時の私は、
きっとどこかで、

「私は必要とされなかった」

と感じていたのだと思います。

「救われたかったのは私」だと。

独り自転車で遊ぶこども

そして私は、また同じ構造を繰り返していた

大人になってからも、
私は同じような関係を選びました。

私は夫を、
母親から救いたいと思っていた。

もっと自由に生きられるのに。
もっと自分で選べるのに。

私は、
彼を母親の価値観や支配から、
連れ出したいと思っていたのです。

でも、
夫はその助けを必要としていませんでした。

彼には彼の安心があり、
彼は、その世界を失いたくなかった。

そして私は、
また気づいてしまった。

相手が本当に帰っていく場所は、
私ではないのだと。

でも同時に、
私はようやく気づき始めました。

私はずっと、
「必要とされることで」
自分の居場所を作ろうとしていたのだと。

そして時々、
こんなことも考える。

もし彼が、
最初から精神的に自立した人だったなら──

私は、
彼を選んでいたのだろうかと。

「強く結びついている関係」が、安心に見えていた

私は、もちろん依存を望んでいたわけではありません。

でも、
“誰かを強く必要としている関係”
に、
安心を感じていました。

離れなさそう。
深く結びついていそう。
捨てられなさそう。

そんなふうに見えたのです。

でも実際には、
そこには既に“帰る場所”がありました。
母にも、夫にも私ではない帰る場所があったのです。

私は、
その外側にいた。

だから、
「一番になりたい」
と思えば思うほど、
苦しくなっていったのだと思います。

私は、「必要とされること」を愛だと思っていた

今なら少しわかります。

私は本当は、
「必要とされたい」のではなく、

安心したかった。

自由に飛び立っても、
戻ってこられる場所が欲しかった。

でも私は、
「必要とされること」
でしか、
愛や居場所を感じられなかった。

だから、
必要を抱えている人
に惹かれていたのです。

それは、
機能不全家族の中で身につけた、
私の生存戦略
でした。

自分を客観的に見つめられた時、少しずつ道は変わり始める

でも今、

私はようやく、
自分のパターンを客観的に見つめられるようになってきました。

「あぁ、
私はこうやって愛を探していたんだ」

と。

すると不思議なことに、
以前のように、
同じ場所へ無意識に引き寄せられ続ける感覚が、
少しずつ変わり始めます。

大切なのは、
自分を責めることではありません。

「なぜ私は、
その関係を安心だと思っていたのか」

を理解すること。

そこから、
人生脚本は少しずつ書き換わり始めるのだと思います。

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関連記事:
「必要とされなかった痛みと解放」
(エッセイ版)

「あなたの人生脚本」
カテゴリーでは、
こうした“無意識の生存戦略”についても、
少しずつ整理しています。