3つしかない!喜びや幸せを感じられる生物学的仕組み

四葉のクローバーとてんとう虫愛着障害

こんにちは、管理人のみのりです。
前の記事で、愛着がうまく築けなかったことが、すべての生き辛さの始まりだったとお話ししました。
この記事では、周りからは、順調でうまくやれているようにみえるのに、絶望感に押しつぶされそうになったのは、なぜか、お話ししていきたいと思います。

こちらの記事は、精神科医の岡田尊司氏の著書「死に至る病」を参考にしています。

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喜びや幸せを与える3つのホルモン

スキンシップで愛情ホルモンが出るのは、よくききますが、生物学的に人に幸福を与える仕組みは3つしかないそうで、それは、下に挙げる3つのホルモンの作用によるものだそうです。

1.エンドロフィン

一つ目は、お腹いっぱい食べたり性的な興奮の絶頂で生じるものでエンドルフィンなどの内因性麻薬(脳内麻薬)が放出されることによって生じる快感です。
Wikipediaによると、マラソンなどで長時間走り続けると気分が高揚してくる作用「ランナーズハイ」は、エンドルフィンの分泌によるものとの説があるそうで、食欲、睡眠欲、生存欲、本能などが満足すると分泌されます。

2.ドーパミン

二つ目はやる気ホルモンで知られるドーパミン。
通常困難な目的を達成した時に分泌されます。
サッカーのゴールの瞬間や麻雀でロンをした瞬間にドーパミンが放出され、「やった!」という快感になります。
数学の問題を解けた時とかマラソンを完走した時もこのタイプの喜びが生じます。
そして再び、努力して次の目標達成しよう!というモチベーションが生み出されます。

達成することで放出されるドーパミンですが面倒な努力抜きでドーパミンの放出だけを引き起こし、強烈な快感を手軽に得られる方法があります。
その代表が麻薬です。

また、アルコールのような嗜好性のある物質や、ギャンブルのようなやみつきになる行為もドーパミンの短絡的な放出を引き起こすことで、依存を生じさせるそうです。

3.オキシトシン

3つ目の喜びを与えてくれる仕組みは、オキシトシンの働きによる愛着の仕組みです。
愛する者の顔を見たり、愛するものと触れ合う時、興奮というよりも安らぎに満ちた喜びが湧き起こりますが、これはオキシトシンによるものだそうです。

また、オキシトシンは、分娩時に子宮の収縮を促し、胎児が下界に出られるように働きかけたり、乳腺を刺激し、授乳中の母乳の分泌を促したりする働きがあるそうです。

そして、幸せな気分を高めるセロトニンや、やる気が出るドーパミンなどのホルモンの分泌を促してくれるそうです。

Minori
Minori

話が、それますが、母乳を与えているときに、憂鬱になったことは、ありませんか?
私は、すごく気分が低下し、不快感に悩み、誰にも相談できずに悩んでいました。
20年以上たって、その原因がわかりました!
Dysphoric milk ejection reflex(不快性射乳反射)という現象らしいです。
授乳で、ドーパミンの活性が低下し、ネガティブな気分になるそうです。
D-MERについては、次の記事に書きますね。

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本当の満足を与えてくれるのは、愛着の仕組み

「死に至る病」のなかで、著者は、
「喜びを与えてくれる仕組みは、実はこの3つしかない。あとはつらいことばかりなのだ。この世のありとあらゆる試練や苦痛の代わりに、われわれに与えられている喜びは、それだけである。」と述べています。

そして、本当の満足を与えてくれるのは、オキシトシンによる愛着の仕組みだとも。

というのも、頑張っていた優等生やエリートが学業や仕事でつまずいたとき、家族の優しい慰めといたわりによって、立ち直ることができます。
それは、ドーパミン系の報酬を得ることに失敗しても、オキシトシン系が与えてくれる慰めや喜びによって、それを埋め合わせることができるからだそうです。

でも、親から無条件の愛情を与えられずに、不安定な愛着を抱えた人は、オキシトシン系の充足が不十分にしか得られません。

そこで頑張ることによって目標を達成し、周囲からも認められることで自分を支えようとするのですが、それがつまずいた時、食べることや性欲を満たすことで紛らわすか、短絡的にドーパミンの放出を生じさせる物質や行為(麻薬や嗜癖的行動にのめり込み、代償的な満足を得るしかなくなるのです。

著者は、「人はこの世の苦痛に耐え、生きていくためには何らかの喜びを必要とする」と言います。その喜びを与えてくれる最終手段が、過食やセックス依存、薬物やギャンブル、ゲームにおぼれることなのだと。
それは、努力して達成感を味わうという本来の喜びではないけれど、生きるために必要な喜びなのだそうです。

ただ、これら最終手段である短絡的な充足は、耐性を生じ、同じだけの喜びを得るためには、もっと強い刺激を必要となってきます。
それが、ときには健康を害し、破滅の危険に身をさらさせることになっても止められない。
なぜなら、いくらやり続けても本当の満足を与えてはくれないからです。
これが、依存のからくりだったんですね。

Minori
Minori

著書のなかで、依存症を治そうとして、本人が努力をして断ち切ったのにも関わらず、自ら命を絶ってしまったというケースが、紹介されていました。
それは、不安定な愛着しか持たない人にとっては、本来の喜びではないけれど、生きるためには必要なことで、アルコールや麻薬を失くしたら支えるものがなくなってしまったと思うとやるせないです…。
依存症の治療の難しさを、改めて感じました。

愛着障害が死に至る病なわけ

「死にいたる病」の中で、ドイツの強制収容所で生き延びた精神科医、ビクトール・フランクル氏(強制収容所における体験を綴った名著『夜と霧』の著者)の言葉が紹介されていました。
”人が生き延びるためには、日々の苦痛に耐える「意味」が必要であり、その意味を与えてくれるのは、愛する者との絆であり未来に向けた希望”だと。

太陽に照らされる双葉

希望とは、喜びへの期待で、今すぐに喜びが与えられないとしても、いつか喜びが得られるという期待があるだけでも、人は生き続けることができます。

また、愛する存在を想い、その存在を信じることができるだけで、その人は生きていけます。

しかし、愛着する存在を持たなかったり、愛着する存在がいても、その関係が不安定でいつ憎しみや怒りや失望に変わるかもしれない脆いものである時、人は死へと向かってしまうと著者は言います。

いつも踏ん張って、落ちないように頑張っている間は、どうにか生きていられるが、頑張り続ける気力さえなくしてしまった時、もはやその人を転落から守ってくれる支えは存在しないと。

それが愛着障害が死に至る病だという意味だと。

自分や、アルコール依存の父のことを重ねて、すごく響きました。
ぎりぎりのところで、踏ん張ってきたなと、思います。
父は10年以上前に他界しましたが、あの情緒不安定さは、精いっぱい踏ん張っていた証なのかもしれません。
父は、癌でなくなりましたが、寿命が限られてきて、穏やかさを取り戻したように思います。
子供の頃、父が年老いて動けなくなったら、今までの恨みつらみを枕元で言い続けてやる!と心に誓いましたが、とてもそんなことが言えない、良い人になっていました。
兄弟のなかでも、一番嫌っていた私が、最期は一番そばにいたのも、認めたくはないけど一番似ていたからだと思います。

何かの縁でこのブログにきてくださった方も、ギリギリのところで頑張っている人じゃないかと思います。
僭越ですが、言わしてください。
その頑張りを、自分で、ほめてあげましょう。

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