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あの日、自分は“おかしい”と知った──でも内向型なだけだった

秘密の場所で、仲良しの子供と犬 試練の乗り越え方
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空想するのが大好きだった幼少期

私は、就学するまで、田舎で育ち、保育園は1学年10人足らずでした。
良くも悪くも誰もが知り合いで、遊ぶのも大きい子から小さい子まで、一緒でした。
兄や姉がいたので、よく後ろにくっついて山などで遊んだ記憶があります。

それが、小学1年生の時に、新興住宅地に引越しをしました。
そこでは、学年を関係なしに遊ぶということはなく、兄弟それぞれ自分の友達との交流をしていて、縦のつながりは、なくなってしまいました。

もともと、私は、空想したり、ひとり遊びが好きだったので、みんなで遊ぶことが減り、好きだった絵をかいたり、ひとりままごとをして楽しんでました。

ひとりの時間は、学校から帰ったあとの私の心のバランスを保つのに必要な時間でした。
友達は、全くいなかったわけではなく、気が向いたら遊ぶ約束をしたし、数少ないけど、心を許せる友達もいました。

学校の休憩時間は、わぁ~っというノリについていけず、外で遊びたいとは思わなかったので、教室で絵をかいたり本を読んだりしていました。

しかし、私の母は、子供の頃、”お山の大将”だったそうで、みんなを引き連れて遊んでいたみたいです。
なので、私の友達が少ないこと、外でみんなで遊ばないことを心配していました。

確かに、学校は、好きでは、なかったです。
ぼぉ~っと考え事をすることが多くて、我に返ったときに、「今、何してるんだろ」と、いうことが多々ありました。
あと、体を動かすのが苦手だったので、体育が苦痛で、行くのが嫌でした。

でも、繰り返しますが、私は友達が少ないことで、困ってはいなかったんです
ひとり遊びも好きで、その時間が楽しかったんです。

いじめられたわけでもなく、迷惑をかけたわけではなく、ただ大人しかっただけなんです。

劣等感が生まれた日

それが、忘れもしない小学校3年生のとき。
なんと、ホームルームで私が課題になったのです。

母が、担任に相談をし、担任は、みんなの中に私をいれてあげようと、思ったんですね。

教師としては、当たり前かもしれないけど、私には全くの余計なお世話です。

悪魔と少女

ホームルームの時間に、「みのりちゃんは、何故いつも本ばかり読んでるの?」「みんなで、外で遊ぼう」などと、いろいろ聞かれたり、言われたりしました。
まだまだ、純粋だった同級生たちは、先生に言われて、私を仲間にいれてあげようって感じでした。

でも、私にとっては、吊し上げを食らった気分です。
そして、「私って、おかしいんだ」と気づいた瞬間です。

劣等感の生まれた日でもあります。

「友達がいっぱいで、外で元気に遊びまわる」
そうでない、私はダメなんだと。

今まで、1人の時間が好きで、何も思わなかったのに、変に意識をして、楽しめなくなりました。
常に、ダメだという声が聞こえてる感じです。

良い人だと言われても自己嫌悪

集団が苦手なのは、どうしようもないけど、うまい逃げ方、当たり障りのない会話、そういうのを習得して、社会人になったころには、「とても感じの良い人」と言ってもらえるようになりました。
でも、すっごく疲れました。

上辺だけを取り繕って、本当の自分がばれるのではないか、あのホームルームのように「美ノ凛さんは変だよね」と何時いわれるのかと怯え、心休まることがなかったです。

一番困ったのは、親となり、子供の学童期。
トラウマがよみがえるというのは、まさにこのことだなって思いました。
校舎を見るだけで、気持ちが暗くなる。
参観の教室にいると、そわそわ落ち着かない。
息子の嬉しそうな顔だけが、救いでした。

はじめて自分を愛おしいと思えた

天使の人形


あのHR以来の苦悩は、本来の自分でないものを目指した結果の悲劇だった気がします。

でも今では、自分はおかしくなかった、ただ内向型だっただけだと理解できるようになりました。

長年、「いい人」であろうとしてきた私。
空気を読んで笑顔で応じるけれど、どこかで「これは本当の自分じゃない」と思ってきました。

でも今は、そうやって周囲に合わせていた自分も、生きるために一生懸命だった「ひとつの私」なんだと思えます。

内向型という気質に気づけたことで、偽っていたと思っていた自分さえも、ようやくまるごと受け入れられるようになりました。

それは、自己否定から始まった長い旅の終わりであり、本当の意味で自分を愛おしく思えた瞬間だったのかもしれません。