子どもの頃の私
子どもの頃、私は自分の世界をもっていた。
友達は、気が合う子が一人いれば、充分たのしかった。
私は、気が合う数少ない友人には恵まれていたし、その子といれば楽しかった。
昭和の学級会で起きたこと
しかし時代は昭和。
友人が少ない私を、母はすごく心配をした。
そして、学校に相談され、「みのりちゃんを仲間に」という話し合いが行われた。
学級会が開かれたのだ。
私は、それ以来「本来の自分はダメなんだ」と思い込んでしまった。
※学級会の衝撃など内向的を責めた日々についてこちらでかいてます。↓
仮面をかぶった私
そこから私は、自分の世界から出て、社会に馴染むための訓練を始めた。
優等生を演じ、周りの期待に応えようとした。
けれどそれは、自分の意志や感情から生まれたものではなく、「こうしなければいけない」という思い込みに縛られた姿だった。
外に出るたびに人と比べてしまい、苦しさがついて回った。
今振り返れば、それは“仮面”だった。
でも、その仮面は偽物ではなく、確かに私自身の一部でもあった。
社会の中で生きるために適応できる自分も、まぎれもなく私。
だから今は、その仮面を責めるのではなく、「よく頑張ってくれたね」と認められる。
本来の自分を愛せるようになったとき、仮面の自分も自然と受け入れられた。

仮面を認めたときの統合感覚
その仮面は眼鏡のようなもの。
今は、私を助けてくれる一部なんだと、思える。
両方を認めた瞬間、
分断されていた私がひとつに溶け合うような、そんな統合の感覚があった。
外に出ているときも、一人でいるときも、どちらも大切な私。
過去の苦い経験がつくった“仮面”は、私を守り、成長させてくれた証でもある。
だからこそ今、私はようやく自分らしさを取り戻し、すべてを愛せるようになったのだと思う。



