「やさしいね」と言われ続けてきたけど
「やさしいよね」──
ずっとそう言われてきた。
人の頼みを断れない。
困っている人を見ると、つい自分がなんとかしようとしてしまう。
誰もやらないなら、私がやるしかないよね…と。
でも、心の奥にはいつもモヤモヤが残っていた。
「私ばっかり我慢してる」
「なんで誰も気づいてくれないの?」
ある時ふと、思った。
それって本当に“やさしさ”だったんだろうか。
実は私は、自分の価値を保つために「いい人」でいようとしていたのかもしれない。
それが、“共依存”という言葉につながった。

共依存ってなに?──“やさしさ”の顔をした、手放せない関係
共依存(codependency)とは、簡単にいえば、
「他人の問題や感情を自分の責任のように感じ、無理をしてでも支えようとしてしまう関係性」のこと。
たとえば──
- 頼まれると断れない
- 相手の感情をなんとかしようとしてしまう
- 誰かを助けることで、自分の存在価値を感じてしまう
- 本当は嫌なのに、我慢して関係を保とうとする
こうした状態が続くと、自分の気持ちや体力をすり減らしながら、
「それでも相手のために」と動き続けてしまうのです。
共依存というと、親子や夫婦、恋人などの親しい人間関係を思い浮かべるかもしれませんが、
実はこの“共依存的な行動パターン”は、職場や地域の係など、あらゆる場所で起こりうるもの。
「自分がやらなきゃ」「助けなきゃ」「我慢すればうまくいく」
そう思って動いてしまうクセが、相手との関係を見えないバランスで崩していくのです。
私が抱えていた「共依存の行動パターン」
私はこれまで、何度か“代表”のような立場をくじで任されることがありました。
子どもが関わる活動の係や、地域の役回りなど。
「私じゃなくてもよかったはずなのに、なぜかいつも選ばれてしまう」
そんなふうに感じていました。
周囲には、はっきり「NO」と言える人もいたのに、私は言えなかった。
「私がやらないと、この仕事は誰がやるの?」
「若い子に押しつけるわけにもいかないし…」
そう思って、自分を納得させていたのです。
でも実際には、何か問題が起こっても誰も助けてくれず、連絡がつかない人や責任を果たさない人にイライラしながら、気づけば私ひとりが裏方で必死に支えている…という構図になっていました。
「NOを言えない私」は、本当にやさしかった?
その時、私の頭にあったのは──
「私がやらなきゃ、まわらない」
「私しかいない」
という思い込み。
けれどそれは、本当のやさしさだったんでしょうか?
私が引き受けてしまうことで、誰かの無責任を見過ごしていたのかもしれない。
「私がいるから大丈夫」と思わせてしまっていたのかもしれない。
それって、相手の成長や気づきを“奪って”いたのかも。
そして私は、「いい人」でい続けることで、無意識のうちに“被害者”でいられる立場を守っていたのかもしれません。
共依存からの卒業宣言
この気づきは、私にとって大きな転機でした。
私は、ずっと「誰かのために」動いてきたけど、実はそれが、「自分を守るための鎧」だった。
もう、その鎧を脱いでもいい。

私は、“助けなきゃ”という思い込みを手放します。
私がやらないことで、誰かが目覚め、育ちます。
私は、私のために生きていい。
やさしさとは、自分を犠牲にすることではない。
本当にやさしい人は、自分の心と体を大切にして、ちゃんと「NO」を言える人。
私もこれから、そうありたいと思っています。
同じような出来事が何度も繰り返されるのは、
そこに「気づいてほしい何か」があるからかもしれません。
もし今、あなたにも同じような繰り返しがあるのなら、
それはきっと、あなたが変わる準備ができているということ。
そして、
そのパターンを卒業するタイミングが、今なのかもしれません。
