「なぜ私はこの世界に生まれたのだろう」。
少女時代からずっと心のどこかにあったこの疑問。
けれどあまりに広く、あまりに深く、ときに思考を止めるしかなかった。
この世界が「シミュレーション」でできている。
そう聞いたとき、初めは「そんなばかな」と思ったけれど、 ゲームをする子供たちの様子を見ているうちに、漠然としていたピースがはまった。
「もしこの世界が、魂が選んで入ったゲームなら。」
これが、私の新しい見方の始まりでした。
この世界は誰かのつくった仮想現実?
私たちが「現実」だと思っているものが、もしすべて仮想現実だったとしたら──。
そんなシミュレーション仮説を提唱したのは、科学者や哲学者たち。
彼らによれば、私たちの世界は非常に高度な文明によってプログラミングされたシミュレーションの可能性があるのだと言います。
たとえば、飛行機のフライトシミュレーターは実際に飛ばなくても、 嵐や雷などあらゆるシチュエーションを再現し、訓練を可能にします。

同じように、人生という名の“経験装置”がこの世界だとしたら?
さらに「ホログラフィック宇宙論」では、 私たちの3次元世界は、2次元の情報によって映し出されているという仮説があります。
「ブラックホールに近づいたらどうなるか? (二間瀬敏史)」ブラックホールの中に入った情報は、ブラックホールのエントロピー(表面積)の増加として記録される。
これはブラックホールの中の3次元の情報が、表面と言う2次元に記録されたということを意味する。
この考えを私たちの世界に当てはめてみたらどうなるだろう。そこから、私たちの3次元世界の出来事は、2次元面の「境界」上に書き込まれた情報によって現れた映像にすぎないのではないか、という予想が生まれた。
境界というのが想像しにくければ、球とその表面を考えてほしい。
表面が境界だ。
私たちが認識している3次元空間はある種の幻で、無限の遠方にある2次元面の境界が本当の現実だという見方が成り立つのだ。
このような見方を「ホログラフィック原理」という。
つまり、私たちが現実だと信じているものは「投影された映像」にすぎないかもしれないのです。
天才発明家ニコラ・テスラは、こんな言葉を残しています。
「わたしの脳は受信機にすぎない。宇宙には中核となるものがあり、私たちはそこから知識や力、インスピレーションを得ている。」
この“中核”こそ、アカシックレコードと呼ばれるものかもしれません。 すべての情報が記録された宇宙のデータバンク。
私たちの直感や夢、ひらめきが、そこからアクセスされるものだとしたら…?
そして、ここでひとつ大切な視点を。
トランサーフィンの考え方でも、ホログラフィック宇宙論でも共通しているのは、 「すべての情報(=現実の可能性)は、すでに存在している」ということ。
つまり、私たちは“まだ起きていない未来”をこれから「つくる」のではなく、 “すでに存在している無数の現実の中から、ひとつを選び出している”ということ。
分岐によって未来が広がっていくのではなく、 もともと“限りなく無限に近い選択肢”が最初から存在していて、 私たちはその中から意識や選択によって、ひとつの現実を選び取っている。
この視点に立つと、未来は「開かれている」だけでなく、 「すでに用意されている無限のフィルム」から“選ぶ”という感覚になります。
「本当の自分」は誰? プレイヤーとキャラクター
もしこの世界が仮想現実なら、今ここで生きている「私」はゲームのキャラクターで、 その外側に、本当の“プレイヤーとしての自分”がいるのかもしれません。
最近のゲームは、見た目やスキル、性格まで細かく設定してスタートします。
人生もまた、魂が設定したストーリーだとしたら、 持って生まれた外見、性格、得意不得意、親との関係…それらすべてに意味があるのかもしれません。
私は、機能不全家庭で育ち、たくさんの挫折を経験しました。 「幸せな家庭をつくる」と決めていたのに、何度も打ち砕かれ、 周囲や運命を恨んだこともあります。
けれど今では、その経験があったからこそ、 “家族とはなにか”“愛とはなにか”を深く考えるようになったと感じています。
そして、こんなふうにも思えるようになったのです。
「私はこの設定を、自分で選んできたのかもしれない」と。
3. ゲーム『Detroit: Become Human』の世界にみる「分岐」と魂
家族がしていたゲーム『Detroit: Become Human』を見たとき、 私は衝撃を受けました。
このゲームは、アンドロイドたちが人間に近い感情を持ち、 プレイヤーの選択によって物語がいくつにも分岐していくストーリー。
精巧な映像が、まるで、ひとつひとつの映画のようにみえました。
プレイヤーによって、経験することも結末もそれぞれが違う。
主人公は3人。 それぞれ異なる視点から物語が進み、選択によって未来がどんどん変化していきます。
選ばなかった選択肢も、ちゃんと“存在している”。

けれど、プレイヤーが選ばなかった限り、その道には進めない。
この構造を見たとき、 「これは私たちの現実と同じじゃないか」と感じたのです。
私たちもまた、毎日たくさんの選択肢の中で生きています。
でも選ばなかった世界には、触れることも戻ることもできません。
そう思ったとき、 「いま、目の前にある現実」は、 過去の自分の選択が映し出された“今この瞬間のコマ”なのだと感じました。
魂が目的をもって選んだこの人生
「人生は自分で選んでいる」──そう聞くと、 「じゃあ、なんでこんなにしんどい思いをするの?」と思いたくなるかもしれません。
でも、魂が成長するためには“感じること”“乗り越えること”が必要なのだとしたら…?
ゲームだって、簡単にクリアできたらつまらない。
試練やミッションがあるからこそ、ドラマが生まれる。
私自身、長い間、父から言われた言葉に縛られて生きてきました。
「お前が生きていけるのは、俺がいるからだ」
その言葉は、長い間、私の中で重くのしかかっていた。 まるで、自分の命すら他人に握られているような感覚。
「誰が生んでくれって頼んだ?」心の中で何度もそう叫んでいました。
でも今は違います。 私は、誰のものでもない。
私は、自分で自分を生きるためにここにいる。
誰かにコントローラーを渡すのではなく、自分で操作して、自分で選ぶ人生を生きる。
あのときの言葉に、いまならこう答えられます。
「私は、自分でここを選んできた。 そしてこれからも、自分で選んで進んでいくんだ」
それが、本気で“自分の物語を生きる”と決めた瞬間でした。
…ちなみに今では、あのときの父の言葉が悪意だけだったとは思っていません。
ただ、子どもの私には、父の葛藤など理解できなかった。
今は、自分の人生に責任を持てるようになったからこそ、 あの言葉すらも、物語の一部として受け取れるようになりました。
おわりに
この世界が仮想現実かどうかは、証明できません。
でも、そういう視点を持つことで、人生の見え方はまるで変わる。
私はもう、誰かに選ばれた人生を生きているのではなく、 “自分で選んだストーリー”の中にいる。
そして今、この思考を分かち合える誰かと出会えたら、 それ自体がまた、魂の演出の縁なのかもしれません。
そして──。
この現実で“消えた”ように見える存在も、 高次の世界では今も“生きている”のかもしれません。
私たちが見えているものは、ほんの一部。
目の前の出来事がすべてではない。
だからこそ、恐れや絶望に飲み込まれそうになったときこそ、 「それもまた、物語のひとつ」と気づけたら、未来はきっと軽くなる。
さあ、新しい物語を、ここから。