ゲーム「Detroit: Become Human」にみるエベレットの多世界解釈:仮想世界での選択と魂の旅

ゲーム「Detroit: Become Human」にみるエベレットの多世界解釈:仮想世界での選択と魂の旅 量子宇宙・仮想世界
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Detroit: Become Humanのゲームの紹介

「Detroit: Become Human」というゲームはご存じでしょうか。

「Detroit: Become Human」とは、フランスのゲーム会社クアンティック・ドリームが開発したアクションアドベンチャーゲームです。

アンドロイドが人間と見分けがつかないほど高度に発達した近未来が舞台で、プレイヤーはアンドロイドの視点から物語を進め、選択によって物語の展開が変化します。

「Detroit: Become Human」は2018年にソニー・インタラクティブエンタテインメントより発売され、当初はPlayStation 4専用ソフトでしたが、2019年にはEpic Games Storeおよび2020年にはSteamでもプレイ可能になりました。

このアクションアドベンチャーゲームの特徴は、プレイヤーの選択によってシナリオが様々に変化することです。

主人公は、カーラ、コナー、マーカスの3人で、プレイヤー1人が、それぞれ異なるキャラクターを操作します。

選択によっては主要人物が死亡することもありますが、そのままストーリーが進行していきます。

また、プレーヤーの選択した行動によって、他のキャラクターの主人公に対する好感度やシナリオ、生死にも影響を与えるのも面白いです。

選択した行動を振り返るフローチャートもついています。

デトロイトゲームのフローチャート

このゲームを知ったきっかけは、家族がしていたからです。
その後、YouTube動画のストーリー紹介やゲーム実況などで、数多くのエンディング、彼らの人生を体験できたことは、面白かったです。

仮想世界での選択の意味:「Detroit: Become Human」のような冒険

『Detroit: Become Human』では 、選択が物語の鍵を握っています。

ゲーム内で、キャラクターを動かすプレイヤーは、ゲームの外での存在でありながらも、キャラクターに対して、大きな視野を持ち、物語に影響を与える選択をします。

同様に、この世界でも、私たちの魂(ゲームでいうプレイヤー的存在)は、目的を追求しているかもしれません。

つまり、ゲームの外のプレイヤーの意志によって、ゲームのなかのキャラクターが、動かされているように、私たちも、誰かの意志によって、何かの目的を持って、この世界で生きていると、考えられないでしょうか。

ゲームのキャラクターが、ゲームのルールに縛らているように、私たちも制限された世界で生きているように思えるのです。


何かに引き寄せられる感覚や、同じような状況に遭遇し続けることは、魂(ゲームでいうプレイヤー的存在)の目的に関連しているかもしれません。

それには、直感や内なる知識に耳を傾け、その手がかりを見逃さないことが重要なのかなと感じます。

結局のところ、この仮想世界で魂の目的を見つけることは、物理的な世界の制約を超え、パターン(同じような状況に遭遇し続けること)を観察し、直感に従うプロセスであるように思います。

星空でヨガをする女性と流れ星

エベレットの多世界解釈:「Detroit: Become Human」と仮想世界

エベレットの多世界解釈とは、量子力学の解釈の一つです。
この解釈によると、すべての可能性は現実化されているそうです。

つまり、私たちが選択をすると、その選択をした世界と、選択をしなかった世界が、両方とも存在するのです。
並行世界、パラレルワールドと、言えばわかりやすいでしょうか。

「Detroit: Become Human」では、プレイヤーの選択によって、物語が分岐していきます。
この特徴は、エベレットの多世界解釈をうまくあらわしているように、思います。

このゲームでは、プレイヤーが選択をした世界が、私たちの目の前に現れ、選択をしなかった世界は、私たちの目の前に現れないのです。
しかし、選択をしなかった世界も、プログラミングされているという考え方
です。

仮想世界での魂の目的

もし、この世界が仮想世界だったらのことですが、私たちは、ゲームのキャラクターのように、ベストな選択をしていき、目の前にあらわれる冒険を楽しむしかないのかもしれません。

それが試練とか挫折とかという望んでいない形で現れることもあるかもしれませんね。

だけど、それは、試練や挫折の先に喜びを設定していて、なにか学びや目的があるのかもしれません。
もしくは、そのような体験ができるソフトを選んだのではないでしょうか。

何らかの意味があるように、思えるのです。
それこそが、魂の目的な気がします。

また、選ばなかった分岐された世界へは、干渉することはできません。
この世界がプログラミングされた世界で、誰かがルールをつくったのなら、この世界の時間が一方通行だというのも、分岐された世界に干渉できないことも納得がいくのです。

この世界が仮想世界であろうとなかろうと、私たちの生活が変わることはありません。

ただ、私は、幼少の頃から、「なぜ生まれてきたのだろう」と、考えていました。
また、自分に、自信を持てずにいました。

だけど、この世界が、ゲームのような仮想世界だとしたら、少なくとも、何らかの目的や役割を持っているわけで、それは、「この世界にいてOK!」みたいな許しを得たように、感じるのです。

楽しんでいいと、思えるのです。

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