人を見極めるのは自分基準でいい

真偽を見極めようとするフクロウ日々のこと、おもうこと
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人との距離感は難しい

昨日の記事で、自信が欲しかったという話をしましたが、もう一つ、欲しい力があります。
それは見極める力。

父がアルコール依存で、シラフの時と、飲酒のときがジキルとハイドなみに違ったので、人への警戒心がすごく強いんです。
安全な人かどうか、観察しまくります。

子供のころの恐怖の植え付けなので、父のことは実際以上に怖く感じていたのか、幸いに父以上に怖い思いや、嫌な思いをすることはありませんでした。
結婚をするまでは。

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他罰的な人との遭遇

ワイヤーで出来た人の頭

結婚して、お酒を飲んでいないのに、暴言を吐く人がいるんだと、驚きました。
その前に、会話が一方的なのにも、びっくりしました。
妄想と現実が、ごっちゃになってるし、いわゆる言葉のキャッチボールが出来ないので、こちらの話をきいていない。

父と姑、今までの人生のなかで私を震え上がらせた2人だけど、身内と言うことを差し引いても、父は良心を持ち合わせていたと思う。
自分の弱さに対して、罪悪感を持ち、涙を流して苦しんでもいたから。
少なくとも、冷静になると、取り乱し傷つけたことを謝罪出来る人だった。

一方、姑は自分が正しいと、少しの疑問ももたず、相手を非難出来る人でした。
根拠のないことでも、そうに違いない、私には見る目があると。
言ってることがコロコロ変わり、虚言壁?と思うこともしばしば。

だけど、夫はその見る目を信じているようでした。
姑のいうことをきいていれば、間違いないと。
姑がいないとやっていけないと、夫に言われ離婚の決意をしたけれど、その後も、私のやり方次第で、うまくやれたのではないか?
夫があんなに崇拝しているのなら、良い面があり関係修復できたのでは?
そんな風に思うことがありました。

尊重されず、傷つけられたのなら、そこで、見切りをスパッとつければいいのに、ぐだぐだと考える自分がいます。

ハート型のくりぬきがあるリンゴ二つ

そして、その見切りをつけられないことが、前に進むことを困難にし、今後も被害にあうかもしれないと不安が大きくなっていることに、気づきました。

誰かに相談されたら、「自分が傷ついた、尊重されない、その時点で離れていい」と言ってあげれるのに、自分のこととなると、感じ方に自信がなく、ふらふらしてしまいます。

でも、このふらふらする原因が、わかったのです!
子供って、悲しいときとか、嬉しいときとか母親など身近なひとに、「悲しかったんだね」「嬉しいのね」と、承認、共感してもらうことで、自分の感情を学び受け止めていくそうなんですね。

だけど、機能不全家族の場合、そこを飛ばして成長するので、いつまでも自分の抱く気持ちや感情に自信が持てない。

どんな感情でも、もって悪いものなんてない

私は、人生の折り返しを過ぎたけど、今これをやってもらってます。
ココナラで知り合ったカウンセラーさんが、これをしてくれていたのです。

ちょっとしたことで不安になったり動揺するので、そんな時は、カウンセラーさんにメールをします。
実際にお会いしたことはなく、メールのみだけど、対人不安を抱える私には、この距離が本音を言いやすく、ちょうどよい距離感です。
すると「そうだったんですね」「そう思うのは悪いことではないですよ」とか全面的に受け止めて貰えるんです。
そうやって受け止めて貰えてやっと、この気持ちを抱いてもいいんだと、ほっとする。
そして持て余した感情が、シュルシュルと小さくなっていく。
自己肯定感にもつながり、私の経験上、1番強力な改善法だと感じています。

人の生き方、人間関係に何が正しいかなんて正解はなくて、自分の望むことでいいと思うんです。
自分の望み、自分の気持ちを尊重することが出来て、そのうえで選択していけるようになることが、よりよい未来につながると思っています。

そうなるためにも、信頼のおける人、セラピストを見つけ、共感してもらうことは必要だと思うし、おすすめします。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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