ご訪問ありがとうございます、みのりです。
今回は、焦りグセを手放していく習慣を紹介します。
焦りグセは不安からくるもので、心の自己防衛が働き、手ごわいです。
そこで、日々の生活のなかに「焦らないでいるための習慣」を組み込んでいきます。
生きる姿勢にも、つながることなので、参考にしていただければ嬉しいです。
この記事は精神科医の水島広子先生の著書、「焦りグセがなくなる本」を参考に作成しています。
焦りグセを予防する生活習慣をつくる
焦らないでいるために、どういう姿勢で日々暮らしていくか、どんな生活習慣を持てばよいか、著書のなかで次の9つが紹介されているので、具体的にみていきます。
脱「焦り」習慣
- 外見を変える
- 周りに「焦り」モードを出さない
- 健康に気を使う
- 朝の10分瞑想
- お茶の時間をつくる
- 使ったらちゃんと元に戻す
- ぎりぎりの目標設定をしない
- ムカついたら傷ついた自分にフォーカスする
- スケジュールには自分をいたわる時間を記入
外見を変える
焦りグセは、心的(内面)な問題ですが、内面は外見に表れると同時に、外見が内面に影響を与えることがあります。
なので、まずは外見から「余裕を見せる」ことは、有効な方法のひとつ。
周りに「焦り」モードを出さない
「いつも焦ってる人と会うと何だか疲れる」というように、焦りグセのある人は、対人関係の質すら損ないかねません。
というのも、「焦りグセ」のエネルギーである不安を相手にも押し付けることになっているから。
人目があるときだけでも、余裕のある姿を見せようと決めると、「焦りグセ」から脱出するきっかけを作ることにもなります。
健康に気を使う
身体によいものを食べたり、身体を動かすなど、どれほど忙しくても、自分に与えられた心身を丁寧に扱う時間を確保する。
「最近胸が痛いが仕事が忙しくて、医者にもいけない。もし手遅れになったら会社のせいかもとイラついてしまう」というようなことは、焦りグセで自分を粗末に扱っている例です。
イライラは、被害者意識を表す感情で、自分を粗末に扱うことは自分が被害者になること。なので、「会社のせい」という被害者意識が育っていく。
イライラを感じた時こそ主体性を取り戻すべきときです。
朝の10分瞑想
一日の始め方はその日のペースを決めるものです。
10分で良いので「やるべき」こととは全く無関係な静かな時間を持ってみると、その一日が、不安や焦りに乗っ取られるのをかなり防止することができます。
お茶の時間をつくる
- 食事の時間だけは全てを忘れて優雅に食べる
- 必ず体を動かす時間を作る
- 自分の趣味のために使う時間を必ず作る
など、日中も焦り癖をリセットする効果がある、自分の心を穏やかにし頭を鎮める類の習慣をいくつか作っておく。
そんな長い時間は、とてもとれないと思う場合は、まずは「午後にお茶を飲む時間をつくり、その時間だけは完全にリラックスする」ことから始めてみる。
使ったらちゃんと元に戻す
忙しいと、どうしてもやることが雑になりがち。
「雑」から達成感を得ることは難しいので、焦りグセを悪化させてしまう。
丁寧に何かに取り組むと、達成感も得られるし、きちんと出来る自分について良い感じをもつことができ、余裕につながります。
また、使ったものを出しっぱなしにすると、次に使う時、探すのに時間がかかるだけでなく、同時に出しっぱなし散らかしっぱなしの状況を見ると、その「雑さ」から「あれもやらなければ」「これもやらなければ」という感覚が強まります。
そして、次に使おうとした時に見つからないと、ますます焦り癖は悪化することに。
だからといって、すべてを丁寧に取り組む必要はなく、メリハリをつけることが重要。
主体性(自分の判断)を持って、「これは雑でいい」と決めたならそれはOK。
ポイントを押さえて、きちんとすることが脱焦りグセにつながる。
ぎりぎりの目標設定をしない
人間は限界のある生物であり「自分には限界がある」という現実を受け入れないと「焦りグセは強まってしまいます。
なので、自分の限界を認め、「ギリギリ頑張ればこれくらい出来そう」と思うレベルよりも、少し低めくらいに限界を設定する。
著者曰く、「高い目標を設定したほうがいいは嘘」だそうです。
ムカついたら傷ついた自分にフォーカスする
モヤモヤして何も手につかないとき、例えば、○○さんのあの態度は許せないと蒸し返して考え続けてしまうようなことです。
このとき、頭のなかは「自分が悪いのか」「相手が悪いのか」とぐるぐる考えていて「自分が悪いのかもしれない」という可能性を打ち消そうと必死になっているそうです。
ここで、重要なのは、失敗したり、先輩に嫌な態度を取られたりしたということではなく、「自分が酷いめにあった」ということ。
それが誰のせいであろうと自分がひどい目にあったことは事実なので「自分をいたわる姿勢」が必要なのです。
ムカついたら、相手ではなく傷ついた自分にフォーカスすると、立ち直りが早くなります。
いつまでもグズグズ考えて、立ち直れないのは、実は「誰のせいか」にこだわり、ひどい目にあった自分をいたわっていないからなのです。
スケジュールには自分をいたわる時間を記入
脱「焦りグセ」のための手帳の活用法は、自分をいたわる時間をきちんとスケジュールに入れることです。
忙しい感に追われると、まず自分のいたわる時間から犠牲にしがちですが、それは自分を粗末にすることであり、自分の限界を無視した姿勢。
他の人が関わっている話であれば相手の存在によってスケジュールが確保されますが、「自分をいたわる時間」だけは、自分がしっかりと意識しない限り確保できません。
焦らないための時間術
この仕事さえ終われば、からの脱出
この仕事さえ終われば時間に余裕ができるからやりたいことができる、この仕事さえ終われば精神的に楽になれるはず、と思うことが多いものですが、実際にその仕事が終わって本当にやりたいことができるようになったり、精神的に楽になったりすることは、まずないとのこと。
一つの事を終えれば、すぐに次のことに取り掛かり、また次の「この仕事さえ終われば」に取り憑かれるという繰り返し。
これは、「忙しさのメガネ」でみているからで、錯覚なのです。
それに気づかなければ、いつまでも、「この仕事さえ終われば…」と、思い続けることになります。
今日から「自分のための時間」を区切る
「この仕事さえ終われば…」から脱するには、「今日、自分の時間を作る」ことです。
「焦りグセ」に支配された他の時間から「区切られた」自分の時間をつくるのです。それは今の仕事が終わってからではなく、今日から!。
一日を自分のやりたいことで始め、自分のやりたいことで終えることができるよう起床後と就寝前にその時間を持つと一日の質が良くなり、睡眠の質も良くなります。
焦りグセから脱するには、長期的に見ていく必要があります。そのために必要なのは少しずつの変化です。
忙しい時に長い時間を確保するのは現実的に不可能ですが、習慣をゼロにするのではなく5分間に簡略化しても良いので、継続することが大事です。
それが達成感につながっていきます。
短くてもその時間を確保し続けることが、将来の希望へとつながっていきます。
区切った時間で完結させる
新しいことを始める時のポイントは、そのための時間を「区切る」ことです。
例えば、すごく忙しいけど、好きな習い事を始めたいと思った時、 レッスンのない時も練習するよう要求されると、無理だと諦めがちですが、それではいつまでも始めることができません。
自分の忙しさを説明し、理想的な形でないのは分かっているが、どうしても習いたいという熱意を伝え、そのレッスンの時間内(区切った時間)だけにさせて欲しいとお願いをしてみる。
そんな風に、時間を区切り確保してみる。
あえて段取りを休んでメリハリをつける
「段取り」をするには、それなりの思考とエネルギーが必要です。
効率を考えれば、段取りをした方がいいですが、私生活においては、必ずしも「効率」が最優先になるわけではないので、疲れているときは段取りを休むことが、メリハリをつけることにもなります。
無駄な時間が幸せをつくる
私生活における無駄には豊かさを作る側面があるそうです。
平凡で無駄にすら見えるような私生活の中にこそ、人間のバランスを保つ要素があるのだそう。
全般に、仕事が社会中心に回っているのに比べて、私生活は自分中心に回っているものです。
人生においてのメリハリを考えた時に、仕事中は、効率重視で、それなりの緊張感を持っていますが私生活まで、同じだとメリハリに欠けます。
子供がよく育つ社会には「無駄」が多いと言われているそうですが、それは様々な「無駄」の中に人が健康に育つ要素があるといえます。
単に効率だけを求めると育つべきものも育たないということ。
それは大人にとっても、同じで、心を健やかに保つには無駄が必要なのです。
あえて無駄なことをやってみるのは、「忙しさのメガネ」を手放す方法のひとつになるのです。
具体的には、惣菜を買うのではなく、あえて料理をしてみるなど。
どうせなら、初めてのレシピにあえてチャレンジするとか。
この時に「べき」になったら台無しです。
力を抜いて楽しみます。
集中したり、夢中になることは、「今」を生きていること。
「今」に生きることは、「忙しさのメガネ」を手放す強力な方法で、そのメガネを手放した私生活こそ、心の栄養になるもので人生を豊かにし、人生全体のメリハリをつけることにつながっていきます。
いかがでしたか。
何か、少しでも参考になったことがあれば、嬉しいのですが(*^_^*)
私は、「ムカついたら傷ついた自分にフォーカスする」の部分が一番響きました。
確かに、誰かに嫌な思いをさせられたとき、「私は悪くないよね」と自己弁護に必死になって、自分が傷ついてることに気付いていませんでした。
水島先生の本は、女性の柔らかさが文章にもあらわれていて、とても読みやすいです。
随所随所で、「そんな簡単にはできないと思いますが…」と、こちらの気持ちを汲んでくれたり、寄り添ってくれ、困っている人目線に優しさを感じます。
1記事にまとめる予定があれもこれも伝えたいと、3記事になってしまいました。
今回も、最後までお読みくださりありがとうございました。